2021-05-19 第204回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第7号
それからもう一つ、海洋博というのが四十五年ちょっと前ぐらいに沖縄でありました、一九七五年ですね。この海洋博のときには、海洋資源ということも当然あって、それから、海の牧場というのもここでもお話をお聞きしたんですけれども、やはり漁業を海の中でやるということで、牧場、囲ってやっていくようなものが作られていたんですね、構想として。
それからもう一つ、海洋博というのが四十五年ちょっと前ぐらいに沖縄でありました、一九七五年ですね。この海洋博のときには、海洋資源ということも当然あって、それから、海の牧場というのもここでもお話をお聞きしたんですけれども、やはり漁業を海の中でやるということで、牧場、囲ってやっていくようなものが作られていたんですね、構想として。
最後ですけれども、沖縄海洋博というのが一九七五年にありまして、海、望ましい未来というような感じで、すごい、これからの未来ということで、牧場を、海洋牧場というような形で、あの当時の、何というんですかね、サステナブルのような感じでやっていたんですが、今はやっぱり、この当時は、海洋プラスチックの問題ですね、マイクロプラスチックの問題が余り意識されていなかったと思うんですけれども。
一九七五年に海洋博というのがありました。この海洋博のときにかなり大きいアクアポリスというのがありまして、浮体式だったと思うんですね。東京ドームぐらいのが浮いていて、かなり中でいろんな栽培をしたり、将来に向けてということで、もうあれから五十年近くなるんですけれども。
実は沖縄の海洋博で二千円札というのを出したんですよ。ただ、これは余り評判はよくなかった。それは、沖縄の海洋博は、世界からお客様も確かに来たかもしれないけれども、実はそんなにたくさん来なかった。
○アントニオ猪木君 かつて昔、私もあの海洋博のときにはよくその視察や何かもしましたし、非常に当時としては盛り上がりました。今から五十年もっと前になるんですかね。
海洋博は、その閉会した後に、一九七六年にアクアポリスは沖縄県に有償譲渡されました。その後の使い道につきましては、経済産業省としましては詳細には承知しておりませんが、海洋博の跡地に整備されました記念公園によりまして展示物あるいは海洋開発知識の普及事業と、こういったもののために活用されたというふうに聞いてございます。
ちょうど沖縄の祖国復帰を記念して海洋博、海をテーマとした最初の海洋万博が開催されましたけれども、私は、祖国復帰五十周年を目指して、それを目指すべきであると考えております。これは、海というキーワードを通して、今、この海底資源また水産資源の有効活用や、東シナ海、南シナ海の問題、海の安全保障というものは最大のテーマです。
〔委員長代理相原久美子君退席、委員長着席〕 ここでちょっとお伺いしたいんですが、本部町、海洋博を行ったところに、海洋博記念公園の周辺に、ここを規制緩和をいたしまして観光振興しようということで、金融支援や建築制限の緩和を念頭に、目玉の施設づくりとして、いわゆる大阪にありますユニバーサル・スタジオ・ジャパンの運営会社のテーマパークを建設しようというようなことでいろいろ報道がされておりました。
沖縄特区にUSJを念頭に、沖縄美ら海水族館周辺にそれを誘致するんだ、これを、国営の海洋博記念公園にそれを立地をさせていくんだというようなことで、政府一体となってやっている印象を与えておるんですね。 それで、ちょうど一年後の今年の五月、いわゆるUSJの沖縄進出断念、官房長官が発表するんですよ。
伊江島という島がすぐ近くに見える、海洋博会場のすぐ近くにある港でございますが、この港は、伊江島に渡る手段としてはもちろん、鹿児島の港を結ぶ航路としては不可欠なものであります。また、北部圏内の一次産業、二次産業においても非常に大きな役割を果たしております。 本部港には、冷蔵施設、冷凍施設というものが整備されました。
具体的な事業としては、夢かもしれませんけれども、沖縄でやって以来、五十年以来やっていない海洋博、それをこの福島の地で行うべきだと思います。一年くらいの長期スパンでいいと思います。
バリシップと題した海洋博のイベントも隔年で行っておりまして、ことしはちょうど、来月開催するような予定であります。 こういう海洋産業の新たな成長の可能性として、先ほど政務官からもお話しいただきました海洋資源開発船舶。
かつて、海洋博のころです、モノレールをつくるときに、つくっても沖縄の人は乗るかなということを随分心配したんです。本気で心配したんですよ。今はほどほどには利用されているんだと思いますが。そのようにライフスタイルが大分違いますからね。どんどんどんどんつくって、それが利用されないということは十分あり得るわけです。
そういう部分では、この沖振法を含めて、あるいは一括交付金を含めて振興を図る、国の責務においてやるということと同時に、先生言われたように、確かにサミットや海洋博や大きな注目もありまして、ことしは例の沖縄の科学技術振興の大学院大学がスタートいたします。
かつては沖縄海洋博等をやりました。そして、いろいろにぎわったりもしました。小渕政権のときもサミットをやりました。大変なにぎわいでした。やはり、アジアにおける、例えばシンガポールとかいったようなところと地理的位置が非常によく似ているということ。それから二番目に、沖縄というのは非常に知名度が高い。東京、京都、沖縄という、アメリカ人にするとそれぐらい知名度が高いところであります。
新たに造るという多目的施設やスポーツコンベンション、それから宿泊、この需要予測が延べ四百十五万人となっているんですけれども、これは沖縄の最も有名な観光地でもありますみんなが行く首里城、ここが年間百八十万、それから海洋博公園が二百二十万ということから見ても大きく上回る数字なわけです。 この需要予測が本当に手堅い検証だというふうに言えるのかというふうに思うんですけれども、これはいかがですか。
むしろそれだったら全部、全部でなくてもいいんです、例えば今まで日本がやった博覧会の関係でいきますと、沖縄国際海洋博覧会、これは七十一ヘクタールを国が購入して、国営沖縄記念公園、海洋博公園として整備をした。そして、運営を財団法人の海洋博覧会記念公園管理財団が管理をする。
大体、筑波博、大阪の花博、そしてあと沖縄の海洋博にしても、ほぼ三年前ぐらいに閣議の了解というのをしております。これがないと全体の関係するような基盤整備というものができないというふうに伺っておるわけですけれども、これはどうでしょうか、早々に閣議の了解を得るという見込みはあるんでしょうか。
海洋博の経験もございました。この間、私はあそこまで行ってまいりましたが、全国でも、万博とかいろいろなことをやって、その後ということでさまざま社会的話題になっているというケースもございます。 私は、沖縄という、さまざまな経済指標を見ましても、本土各県と著しいギャップがある、なかなかこれが解消されない。
全体を合わせました計画面積は八十二ヘクタールということでございまして、海洋博も含めまして供用面積は七十三ヘクタールということになっております。
これは、御存じのように、海洋博後の不況で一九七七年五月に記録した七・九%、それからことし五月の八・二%をともに上回って、一九五一年に統計の調査を開始して以来過去最悪を記録した、こういうことになっています。
だから、それこそ本当に沖縄の今の交通渋滞、交通アクセスを考えてくださるというならば、私は、投資効果とかなんとか言わずに、受益者負担とか言わずに、那覇を起点に、北は沖縄海洋博記念公園まで、将来は奥間まで延ばす、南は糸満の平和祈念公園までモノレールを延長させるか、あるいは沖縄的JRというものをそれこそ国の交通政策として考えていただきたい。
なぜこんなにタクシーが多いかといいますと、これは鉄軌道がないということも最大の原因でありますけれども、沖縄で海洋博が行われたときに臨時増車をしたり、海邦国体が行われたときにも臨時増車をした。そういう特別の増車があったために人口割り台数が勢い多いわけです。
そこで、その前提でもありますが、私はかねがね申し上げて、そんな夢のような話は難しいと言う役人さんがいらっしゃるのだが、基本的には那覇空港を起点に、那覇市を起点に、南は糸満の平和祈念公園まで、北は海洋博記念公園までモノーレールを延長するか、新たな沖縄的JRを設置するかどうか。